歴史                           

宗門校としての本願寺文学寮は、光瑞猊下の進言もあり、明治28年(1895)4月端艇部を創部する。その歴史は、部員である田口義見氏(明治32年卒)の存在に負うところが大きい。練習場所は、京都の近代都市の基礎となった琵琶湖疏水が、早朝からにぎわったらしい。その後、大谷探検隊のメンバーの野村礼譲・本多恵隆・朝倉明宣を初め、龍江義信・市川達譲ら11~14名の部員が集まり、文学寮乙末会の運動部として本格的な活動に入った。端艇といっても現在の艇ではなく、幅の広い二列に並んで漕ぐものであった。

 大正に入り、法主の弟大谷尊由師の助力により、滑走席艇フォアとエイト各一艇を桑野造船所に発注する。艇庫は滋賀の石山、合宿は近くの民宿で行った。大正14年には京都大・同志社大・龍谷大などが、関西漕艇協会設立に動いた

昭和に入り、昭和7年(1932)関西選手権、昭和25年(1950)第3朝日レガッタにおいてフォアで、昭和45年(1970)第23回朝日レガッタにおいてエイトでそれぞれ優勝した。23回の朝日レガッタ、スタートで龍大が出たが、京大端艇部など3クルーもよくついて、差は開かず、龍大がややリードのまま800mあたりまでほとんど一線といえるレース展開。ピッチ45のラストスパート、よく息の合ったオールさばきで、2分の1艇身をつけて龍大がゴールした。1位龍大と4位トヨタ自工が5秒という激しいものだった。龍大の勝因はクルーがリズム感をつかんだことだった。(朝日新聞昭和45429日朝刊記事より)昭和56年(1981)関西選手権でエイトが優勝した 

平成に入り、部して大きなうねりの時代がきた。それは、女子の創部と女子部の艇庫増設ある。女子部は平成元年(1989)ユニバーシアードダブルスカル(松岡・住山)が日本代表に選出、平成元年(1989)関西漕艇選手権シングルスカルで松岡が女子部初優勝を飾り、平成2年(1990)関西漕艇選手権シングルスカルで松岡2連覇。平成5年(1993)、平成6年(1994)関西漕艇選手権舵手つきフォアで2連覇平成3年(1991)~平成6年(1994)21全日本大学選手権の舵手つきフォアで4連覇また平成6年(1994)第21回全日本大学選手権で女子総合優勝(舵手つきフォア4連覇、シングルスカル〈岡〉優勝、舵手なしペア2位、ダブルスカル5位)という快挙を達成。平成8年(1996)関西漕艇選手権シングルスカル(中原)、第23回全日本大学選手権で舵手つきフォアがそれぞれ優勝。平成7年(1995)、平成8年(1996)全日本大学選手権で舵手なしペア2連覇。平成10年(1998)関西漕艇選手権舵手つきフォアが優勝、平成11年(1991)26全日本大学選手権男女総合3位(女子舵手つきフォア2位、ダブルスカル2)、平成13年(2001)第28回全日本大学選手権舵手つきフォア、平成18年(2006)第59回朝日レガッタ舵手つきクオドルプル、平成21年(2009)第62回朝日レガッタダブルスカル、平成24年(2012)関西漕艇選手権ダブルスカル、平成25年(2013)関西漕艇選手権ダブルスカル、平成27年(2015)第68回朝日レガッタダブルスカル、平成28年(2016)第69回朝日レガッタ舵手つきクオドルプル、関西漕艇選手権シングルスカル(大西)が優勝した。

一方男子は、平成6年(1994)関西漕艇選手権エイト、平成8年(1996)第23回(全日本大学選手権舵手つきフォア、平成11(1991)関西漕艇選手権舵手つきフォアが優勝平成11年(1991)第26回全日本大学選手権で男女が総合優勝(男子舵手つきフォア2位、舵手なしフォア2位)、平成13年(2001)第28回全日本大学選手権シングルスカル(小泉)、平成15年(2003)第75回朝日レガッタ舵手つきフォア、平成16年(2004)第57回朝日レガッタ舵手つきフォアが2連覇、平成17年(2005)第46回全日本新人選手権舵手つきフォア、平成18年(2006)第47回全日本新人選手権舵手つきフォア、平成18年(2006)平成19(2006)第47回全日本新人選手権で舵手つきフォアが3連覇、平成19年(2007)60回朝日レガッタ舵手つきフォア、平成25年(2013)関西漕艇選手権舵手つきフォア、舵手なしペア、平成27年(2015)舵手なしクオドルプル(のちにアジアボート選手権の日本代表)、平成28年(2016)第38回全日本軽量級舵手なしクオドルプル、関西漕艇選手権舵手つきフォアが優勝した。

なお平成23年(2011)311日(金)早朝に発生した東日本大震災は、各地に大規模な被害を与えた。316日関西ボート連盟から伝統ある朝日レガッタを中止する連絡が龍谷大学端艇部に入った。当部は違った形でのレース開催ができないか模索する現今村監督(平成9年卒)が発起人の一人となり、ボート関係各位の協力を得て、大会の趣旨や日程を決め、復興支援のかたちで「琵琶湖チャリティー競漕大会」(430日~51日)滋賀県立琵琶湖漕艇場で約279クルー(約700人)の参加がきまり、3日間各チーム力漕のし、大会を終えた。

 

              

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